「先生」と「生徒」
やっぱり役者になりたいなら、意欲的に何かやってやろうとみなぎってほしい。
与えられるって安心して受け身でいないで。
教わる意欲の有る無しで、教えたい意欲だって変わるわ。
そんなん、あたりまえやん?
どんな事でもそうやん。
私は去年からある習い事をしている。教えてもらう「生徒」でいるのは、教える機会のある私にとってすごくいい。
どちら側にも立って味わって。両方を体感で知ってるのと想像は違う。
教える立場を知ってる私は、先生の言う事すべて聞き逃したくない。
今の自分の状態を知ってダメ出しを理解して、今どうすべきか何をすべきか知りたい。
自分で習いたいと決めた事だ。義務教育でもあるまいし。
出来うる限り一生懸命取り組みたい。
努力して、成果を見てもらって、褒められたい。
そして、うまくなりたい!
先生にとって、私はすごくいい生徒らしいです。
そりゃそーだ。
教える難しさも喜びも、どんな態度が傷つくかヤル気を削がれるかも、わかるもの。
本気で上達したくてぶつかってきたら、やっぱり教える側も熱が入る。
そんなん、
あたりまえやん。
私は私の理想とする生徒像を自分でやってるだけ。
先生の熱、ほしいもん。
生徒で改めて思うのは「褒められたい」という単純な思い。
だから私も、いい時はいいとちゃんと褒めたいと。
先生と呼ばれ偉くなった気にならないためにも、習い事は気が引き締まる。
なぜなら私は下手くそだから。
恥ずかしく情けない。そんな気持ちになる私が講師とか、ケッ。笑かすな。
とか思ってるのって、いいと思いません?
ちょっと今日この友達、荒れる出来事が起こるかも?と心配してたんだけど…何とか大丈夫だった。
今日はヤケ酒になるか号泣酒か放心酒?か、実は覚悟してました。
本当に、心底、よかった…
どうぞ誰も乱してくれるな。
願うは平穏。
by tomosaeki
| 2017-09-15 21:19
| 戯言
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